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18:00 かえでとカンナ 銀座にて




+++++++++++++++


柔らかい秋の日差しが息を潜め、空一面が星明かりに覆われた頃。
街の民家に淡い光が灯り、そこかしこから食欲をそそる夕食の香りが漂ってくる。

「かえでさん!」

そんな匂いに誘われたらしい腹の虫がゴロゴロと鳴き始めたのを聞いたカンナは、すっかり空っぽになって
しまった自らの腹を擦りながらその隣を歩く人物に声を掛ける。

しかし神妙な面持ちで早足で歩く相手は、彼女の声に答えようともしない。

「なあ、かえでさん!」

すると再び、カンナはその名前を呼んだ。
その声は耐えきれなくなってきた空腹と冷たい相手の態度のせいか普段より少しだけ低くなっており、
彼女の機嫌が悪くなっていることを如実に表していた。

「何よぉ~」

しつこい相手の言葉にやっと返事をしたかえでであったものの、その声のトーンは普段よりもずっと低い。
それは彼女の気分もまたカンナと同じかそれ以上に悪くなっていることを表していた。

そんなかえでの様子に、カンナはひとつだけ深いため息を吐く。

普段ならばとうの昔に夕食にありついている時間。
しかも今日は千秋楽公演が満員御礼で幕を閉じた記念すべき日であるため、食事は大層豪華なものとなる
筈である。

だがそんな心踊る宴会の準備をしていたメンバーに飛び込んできたのは、発注ミスを犯した為に酒が一瓶も
無いという大変な情報であった。

酒をたしなむ者が多い花組にとって、宴会にそれが無いというのは大事である。
特に劇場支配人である米田と副支配人であるかえでという二人のトップがうるさいのだから質が悪い。

そのため既に飾り付けや料理の準備が殆ど終わっているというなか、カンナはかえでと二人、
酒を求めて日が沈んでしまった街に出たのである。

「日も暮れちまったんだからいい加減諦めて帰ろうぜ?もうどこの店も閉まっちまってるよ」

不機嫌な感情からか少しだけ早くなったかえでの足に合わせ、カンナもまた足を早めながら言う。
既に酒を求め何軒かの酒屋を回っているのだが、殆どが彼女の言葉の通り店を閉めてしまっていた。
そうでないところももう閉店間近であったり好みの酒を揃えて居なかったりと様々な理由があり、結局彼らは
未だ一本の酒すらも手に入れることが出来ないでいる。

「ええ、分かってるわよ。だからあと一軒、あと一軒だけ!」

そんなカンナの弱気な発言にかえでは振り返ったのだが、そう言ってすぐにまたずんずんと彼女の前を歩く。
どうやら彼女に、諦める気はさらさら無いようである。

「ったく、さっきもそう言ってたじゃねぇか」

聞き覚えのあるその言葉に、思わずカンナの口からそんなぼやきが漏れる。

すると、劇場を出てから今まで動き続けていたかえでの足が唐突に止まった。

彼女の行動に驚きつつ、カンナの足もまたその動きを止める。

それとほぼ同時に、かえでがくるりと彼女の方へと向き直った。

「だってせっかくのお祝いの席なのよ!千秋楽も満員御礼で、お客様にも喜んで貰えた素晴らしい日なの!
そんな日にお酒がないなんて淋しすぎるわ!」

身振り手振りで演説を始めたかえでであったが、対するカンナの目は冷ややかである。
確かにめでたいという気持ちは分かるのだが、それに酒が必要かといえば彼女は必ずしもそうではないのだ。
大量の美味しい食事と賑やかな団欒、カンナにはそれだけで十分である。

「それにマリアだって、お酒好きなのに」

相手があまり感銘をうけて居ないことを察知したのか、かえでは次に今回の舞台の主役の一人の
名前を出す。
確かにマリアもまた酒をたしなむのだが、彼女はどちらかといえば一人で酒を飲むタイプであるため、
こういう機会での飲酒量はごく僅かである。そして何より、彼女は最後まで酒を買いに出るというかえでの
言葉に反対していたのである。

更に付け加えれば、もう一人の主役であるさくらはあまり酒が得意ではない。

「……結局、一番呑みてえのはかえでさんじゃねえか」

ひとつ息を吐いたカンナは、もはや呆れを通り越した哀れむような視線でかえでを見下ろす。

「う……そ、それもあるけど。それでも私は皆の為を思って……!」

かなり抵抗しようとかえでは言い淀んだのだが、最後には結局自らの我儘を認めた。
既に彼女には副司令としての凛々しい面影は無く、まるで幼い子供が母親に叱られたような表情を
浮かべている。

そんな相手を見ると、ただ事実を述べただけである筈のカンナはまるで幼い子供を苛めているような気がし、
どうしたものかとまた深いため息を吐く。

やがて彼女は、俯いてしまったかえでの頭にポンと自らの手を乗せた。

「全く、こんなに待たせちゃあのキツネ女に何言われるか分かんねえけどな。みんなの為に酒を探すんだろ?
だったらさっさと行こうぜ」

そう言ってカンナがにっこり笑うと、顔を上げたかえでもまた柔らかく微笑む。
そして彼女は深く頷くと、再び踵を返して歩き始めた。

「でもよぉかえでさん、次に無かったら帰るからな」

そんな彼女の背中に向かい、カンナはそう釘を刺す。
次までは付き合うと言いながらも、それがまた長い旅になってしまっては堪らない。

「わ、分かってるわよ……」

彼女の言葉にかえでは再びゆっくりと振り返ると、苦々しげな表情で言う。
そんな相手の返事を最後まできちんと聞いたところで、ようやくカンナは再び足を踏み出したのであった。
 
 
 
そんなやりとりのあった数分後、カンナとかえでは全く同じ道の真ん中を並んで歩いていた。
その手にかえでかずっと探していた、大量のお酒を抱えて。

「ちょっと買いすぎじゃねぇか?」
「いいのよ~、これでも足りないくらいだわ」

大きな一升瓶を何本か抱えたカンナの言葉に、かえでは心なしか生き生きとした表情て答える。
そして心底嬉しそうに笑いながら、そ自らが抱える酒瓶に頬擦りした。

「まぁた飲みすぎて、二日酔いで寝込むんじゃねぇか?マリアにまた怒られちまうぜ」

うんざりしていた筈のカンナもやはり目的が達成されたことが嬉しいのか、かえでに向かって忠告する
その表情は穏やかである。

「ふふ、大丈夫。これくらいじゃ酔えないわ」

そんな彼女に向かい、かえでは何も持って居ない方の手をパタパタと振ったものの、カンナの脳裏には
その言葉通りの情景が浮かんでいた。
彼女がそう言う時には、大概そうなってしまうのが常なのである。

「ねえ、カンナ」

そんな上機嫌なかえでが、劇場へと続く道の曲がり角でふと彼女の名を呼んだ。

「ん?」
「ありがと、付き合ってくれて」

かえではそちらに向けられた相手の瞳をじっと見つめてにっこりと微笑むと、カンナにそう礼の言葉を述べる。外灯に照らされたその笑顔は劇場内とは違う淡い光に包まれ、カンナは普段とは違うその雰囲気に
暫く目を奪われた。

「へへっ、どういたしまして」

やがてそんな彼女もまた柔らかい笑みを浮かべ、かえでにそう言葉を返す。
すると相手は嬉しそうな微笑みを浮かべたまま、彼女から視線を外して空を仰いだ。
 
そこに浮かぶ満天の星たちが、そんな二人の穏やか帰り道を優しく見守っていた。


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普段はカンナのが子供でかえでさんがお母さんな感じですが、今回は立場逆転(笑)
かえでさんはお酒のことになると周りが見えなくなればいい……!

ちなみに今回一番の難産だったりするのは内緒です。
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