17:00 あやめとかえで
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「今日神社でお祭りがあるみたいなの。よかったら、一緒に行かない?」
日も落ちかけた休日の夕暮れ。唐突にかえでにそんな声をかけたのは、たまたま同じ期間に休暇を取って
帰省していた姉であった。
士官学校のつかの間の休暇。
恐らく先に軍人となった姉のそれは、比較にならない程に短いものなのだろう。
だからこそお互いのそれが重なったと聞いた時、かえではひどく驚いた。
しかし姉はあくまで「偶然」だと言い張る。
だが恐らく同じ学校を卒業した彼女が母校の休暇に合わせ休みをとったのだろう、そうかえでは思って
疑わなかった。
久しぶりに過ごす姉との時間であったものの、どこに行くわけでも無く二人はそれぞれ自らの時間を楽しんだ。
孝行な姉は両親と日光へ出向いたそうだが、かえではそれに同行せず、地元に残る友人達と心休まる時間を
過ごした。
そして、今日が二人の最後の休みの日。共に過ごす最後の夜。
明日になればまたそれぞれの道に別れ、次に会うことができるのはいつの日か。
「そうね、久しぶりに行きましょうか」
姉の誘いを無下に断る理由も無かった為、かえでは二つ返事でそれを了承した。
帰省の最後の思い出には、丁度いい機会である。
かえではすぐに畳の上から立ち上がると、鞄を取りに自室へと向かおうとした。
だが、そんな彼女の肩に、後ろからあやめが手をかける。
「せっかくのお祭りに、普段着では淋しいじゃない」
振り返った妹にそう囁いて、あやめはにっこりと楽しそうに微笑んだ。
子供の頃には、よく二人で一緒に行った近所のお祭り。
そんな思い出に少しの間浸ろうと考えていただけのかえでであったのだが、その姿はあやめによって
大層な着物姿に着せ替えられてしまっている。
盆や正月でも無いのにとかえでは口を尖らせたものの、こういう時のあやめには何を言っても
無駄だということを知っている為抵抗することは無かった。
菖蒲の花と楓の葉が散りばめられた、艶やかな二人の着物姿。
小さな祭りに突如現れた華やかな若い二人を、何人の人が振り返ったことだろう。
しかし見た目はお淑やかな二人の姉妹は、もうひとつの意味で人々の注目を集めた。
金魚すくいに射的、そして輪投げに的当て等々……そんな祭りならではの屋台を、二人は全て遊び尽くした。
そして全てに於いて、二人はとても和服を着ているとは思えないほどの活躍を見せたのである。
あやめが得意の射的で両手一杯の景品を取れば、かえではお椀に入りきらない程金魚を掬う。
勿論彼女達が屋台全てを制覇してしまっては商売にならないため、取った景品の殆どは屋台に
返してしまうのだが。
そんな姉妹の周りには多くの子供達が集まり、二人は時間を忘れて彼らと大いに祭りを楽しんだのだった。
「気をつけて帰るのよ~!」
そんなかえでの大きな声に子供達は振り返り、大きく手を振ってそれに応える。
かえではそれに負けないくらい大きく、あやめは軽くゆっくりと手を振って、小さな背中を見送った。
「いいお祭りだったわね」
やがて二人が踵を返して帰路についた時、ふとかえでの口からそんな言葉が溢れる。
あやめは彼女の方をちらりと見ると、柔らかい笑みを浮かべ深く頷いた。
「また、行きましょう……二人で」
それにつられて微笑んだかえでは、早足であやめの数歩先へと回り込んでそう言葉を続ける。
そして足を止めたあやめの方を見上げたのと同時に、彼女は言葉を失った。
目の前のあやめの姿が、真後ろにある夕暮れの真っ赤な日の光に染まる。
かえでは思わず目を細めたのだが、勿論それは強い光のせいだけではない。
血の繋がった姉妹であるかえででさえ、思わず見とれてしまうあやめの微笑み。
それが今淡い光に照らされて、更に彼女の魅力を引き立てていた。
これほどまでに美しい姉を……いや、これほどまでに美しい女を、かえでは今まで一度も見たことがない。
彼女は思わずほぅ、と感嘆のため息を漏らした。
こうして暫しかえではそんな姉の姿に見とれていたのだが、時が経つにつれてその感情が別の色に
染まってゆく。
まるで自らの身体にぽっかりと穴が開いたかのような、喪失感。
それは徐々に大きくなり、やがてすぐ傍にある筈の美しい姉の微笑みが遥か遠い存在のように思えてくる。
「あやめ姉さん」
かえでは姉を呼ぶと同時に、片方の手を自らの両手でギュッと掴んだ。
それと同時に感じた姉の手の暖かさに、ひとまずほっと安堵の溜め息をつく。
「あら、どうしたの?」
一瞬目を見開いたあやめであったが、すぐに表情を変えてにっこりと暖かい笑みを浮かべた。
普段通りの彼女の微笑み。
しかし先程の感情を忘れることなどできないかえでは、今度は酷い不安に教われる。
離れて暮らしながらも、すぐ傍に居ると感じていた姉の存在。
だが彼女は、いつかかえでの元から離れてしまう。
それは当たり前のことであり彼女自身も頭では分かっていたことなのだが、今日は何故かそれがやけに
怖く感じた。
「今日、姉さんの部屋で一緒に寝てもいい?」
手を握った力を変えず、かえではそうあやめに問いかける。
彼女はまた驚いた顔を浮かべたが、やはり先程と同じようににっこりと微笑む。
そして握られていない方の手で、柔らかくかえでの髪に触れた。
「今日は随分甘えっ子なのね」
髪飾りが落ちない程度にゆっくりと、あやめの手かえでの頭を撫でる。
久しぶりの暖かい感触に目を閉じれば、幼い頃の思い出が走馬灯のように駆け抜けていった。
これではまるで今生の別れではないか!
そう思うが否やかえでは目を開けたのだが、彼女の視界はぼんやりとしていて輪郭すらもはっきりとは
していない。
何故、自分は今にも泣き出しそうになっているのか。
自身のことであるはずなのに、かえでにはそれが全く分からなかった。
「……駄目、かしら」
流石にこんな場所で涙ぐむ訳にはいかず、かえでは自らの感情が落ち着くのを待った後、
ゆっくりと口を開いた。
そんな彼女の言葉と同時に、その頭を撫でていたあやめの手が、彼女の頬へと降りてくる。
「ううん、構わないわよ。また暫く会えなくなるんだから……長いこと、あなたの顔を見ていたいわ」
彼女はそう呟きながら、その指で触れていたかえでの頬を撫でる。
そして慣れない刺激にくすぐったさを覚えた妹がまたぎゅっと瞼を閉じた時、あやめは彼女に向かって
こう言葉を続けた。
「どうせなら、同じ布団で寝ましょうか。子供の頃みたいに、ね」
その言葉にはっと目を開けたかえでの視界に、満面の笑みを浮かべた姉の姿が映る。
すると再び、かえでの中には淋しさが顔を出す。
やがて漏れ出る涙を抑えられなくなった彼女は、あやめの身体をぎゅっと強く抱き締めたのだった。
その日の夜はあやめの提案通り、久しぶりに姉妹が同じ布団で眠った。
かえでは両の腕をぎゅっとあやめのそれに絡ませ、まるで幼い子供のように彼女に寄り添う。
そんな妹に縋りつかれた形となったあやめもまた、その背に自らの腕を廻したまま、深い深い眠りについた。
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恋は~人を~いつも綺麗にする~、なあやめさん。多分山崎に出会った辺り。
そんなお姉ちゃんが自分から離れてしまうようで淋しい、難しい年齢のかえでさんでありました。
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