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さて、何だかんだで前日です!
そんな前日に取り急ぎ更新ですよ!! 

……ま、間に合うかなぁorz

注意
・マリかえです
こちらの記事から先に読んで頂くと、ちょっと楽しいかもしれない
・相変わらずこの時期の更新のくせに暗いのでご容赦下さいませ……  



+++++++++++++++


梅雨の合間にひょっこりと顔を出した太陽が、再び熱い雨雲の布団を被って
もうどれくらい時間が経っただろうか。
この日の帝都も例年の梅雨の時期に違わず、昼過ぎから強い雨が降り続いている。

だがどんよりとした世間の空気とは対照的に、大帝国劇場の面々には嬉々とした笑顔が浮かんでいた。
なぜなら今日は、6月の18日。この日の夜を越えれば、19日。

彼女達の仲間の一人、マリア・タチバナの誕生日である。

大切な仲間の記念日というのは、自らの記念日と同じくらい嬉しい日。
それだけでも笑顔が浮かぶというのに、その上彼らは当人に見つからないようにパーティの準備を
行っているのだ。
普段落ち着いているマリアの驚いた表情を想像すれば、こみ上げた笑いを止める方が難しい
というものである。

「ただいま~! ……はぁ、酷い目に遭ったわ」

そんな休演日の劇場の廊下に柔らかい声が響いた。劇場の副支配人、藤枝かえでのそれである。
普段は硬い雰囲気の軍服に身を包んでいる彼女なのだが、久しぶりの休暇である今日はそれを脱ぎ、
彼女らしい明るい雰囲気の私服に身を包んでいた。

だが、今朝のうちは美しかったはずのその姿は、今はすっかり変わり果てたものとなっている。

「ああ、おかえり……って、かえでさんどうしたんだよ!?」

玄関を通りかかったカンナは、その姿に目を丸くした。
肩の辺りまでで切りそろえられた彼女の髪、新緑を想わせるインナー、そして真っ白のスカート……
その全てが見るも無残にずぶぬれであったのである。

「降るって分かってたんだけど、傘を忘れちゃって。……この有様」

上着で包んでいた紙袋を床に下ろし、かえでは服の裾を絞りながらそう答えた。
ラジオの放送によれば、今日の天気は曇りのち雨。
いやその情報が無くとも、どんよりと厚い雲に覆われた空を見れば、あまり時間の経たないうちに
雨が降り出すことは容易に予想できたのである。

しかし劇場を出る際、ある事情でかえでは酷く浮かれていた。
そのお陰で、見事に傘を持たずに外出してしまったのである。

「ったくしょうがねえなぁ。タオル取ってきてやるからちょっと待ってな」
「ありがとう、カンナ」

小走りでその場を立ち去るカンナの背中にそう声を掛けて、かえでは額に張り付いた髪をかき上げた。
そして水のしたたるその手でスカートをぎゅっと絞れば、ポタポタと水滴が床を濡らす。

その光景をひとりぼうっと見つめながら、かえではひとつだけ大きな大きな溜息を吐いた。
 

 
かえでがマリアの誕生日パーティに当たって他のメンバーから頼まれた役割は『皆で最後の打ち合わせを
する前日に、少しの間マリアを外に連れ出すこと』である。
当日に仕事の予定が入っていた為殆ど参加できない自分ができることはこれくらいだろうと、
彼女はふたつ返事でそれを了承した。

「久しぶりに、二人で食事に行かない?」

そんな彼女が正面に座っていたマリアを誘ったのが午前9時過ぎ、普段より遅い朝食を摂っていた時である。
断られた時の為にもっと早くから予約をしていればよかったものの、普段の多忙さと何より隠し事をしている
という緊張感から、結局誕生日前日の朝というギリギリの時間となってしまった。

だが唐突ではあったものの、相手は普段通りの優しい笑みでそれを了承し、それから劇場を出たのが
丁度正午を過ぎた辺り。
『前日にマリアを少しの間連れ出して欲しい』という仲間の頼みに答えられたこと、そしてそれ以上に
久しぶりにマリアと二人きりの時間を過ごすことができるという喜びで、その時のかえでの足取りは
いつになく軽いものであった。

出るのが少し遅れた為目当てのレストランで少しだけ待つ羽目になったものの、二人で何気ない会話を
していればそんな時間はあっという間である。
またその店は噂に違わずどの料理もおいしく、かえではとても幸福に満たされた時間を過ごしたのであった。

だがそんな彼女の鼻の頭を唐突に水滴が濡らしたのは、また皆を誘って食べに来ようと話していた
矢先のこと。
降り始めこそ小走りで劇場に戻ろうとしていた2人であったが、すぐに小雨は土砂降りへと変わるであろう
大粒のものに変化する。
ずぶ濡れで帰る羽目になるとは、そうかえでが自らの浅はかさを後悔した時、横を走っていたマリアが
彼女を目に付いた喫茶店へと誘ったのであった。
 
 
「……静かなお店ね」
土砂降りの雨が窓を叩いているのをじっと見つめていたマリアに、かえでは小さな声で言う。
彼女の言葉通り落ち着いた雰囲気の店内は、この土砂降りの為か閑散としていた。

「そう、でしょうね……これでは」

マリアが苦笑しながら、テーブルの上のメニューを指す。
それにつられてかえでが視線を落とし、それとほぼ同時に目を丸くする。

「この値段……料亭、じゃない、わよね……?」

彼女の目に映ったのは、喫茶店にしてはあまりにも高すぎる値段であった。
一気に気が遠くなるという気分を味わったかえでは、恐る恐るメニュー表から視線を外し辺りをよくよく見渡す。

先程まで一般人に見えた数組の他の客達は、よく見れば誰も彼も高級そうな衣服に身を包んでいた。

「すみれが気に入っていると言うので入ってみたのですが、さすがにここに頻繁に通うのは難しいですね」

思わず背筋を伸ばしたかえでを見て微笑んだマリアは、メニューの文字をなぞりながらそう呟く。
それとほぼ同時にウエイターがテーブルを訪れた為、二人は紅茶を一杯ずつだけ注文した。
元々、二人は昼食を摂ったばかりなのだ。例え高級な店では無かったとしても、あまり多くは食べられない。
ドリンクが二人とも『紅茶』であったのは、その味にうるさいすみれが推す店であったからである。

「こういう店は何度か来たことがあるけど、やっぱり慣れないわね。肩が凝っちゃって」

一礼をしたウエイターがテーブルを去ったのを見計らって、かえでが溜息混じりに呟く。
言葉の通り付き合いで高級な店に行かなければいけない場合もあるのだが、彼女は店の雰囲気に圧倒されて
料理の味も分からないまま酔っぱらってしまうことが殆どであった。
その為、彼女自身が進んでそのような場所に行くことはほぼ皆無である。

「じゃあ、どういう店がお好きなんですか?」

かえでの呟きに、ふとマリアが問いかける。
するとかえでは「そうね……」とだけ呟き暫く考えた後、相手の視線に自らのそれを再び重ねてこう答えた。

「やっぱり味が第一だけど、私は賑やかなお店の方が好きね。食堂とか、居酒屋とか……」

指折り数えながらのその答えを全て聞き終える前に、ふとマリアの口から笑みが零れる。

「かえでさんらしい、ですね」
「何よ、それ。そんなにおかしいかしら?」

笑い声の隙間に囁かれた相手の言葉に、思わずかえでは口を尖らせる。
だが勿論それは本気ではなく、やがてマリアの笑い声につられてくすくすと笑いだした。

「お待たせいたしました」

暫くの間二人で笑い合っていると、お盆を持ったウエイターが彼らのテーブルの横に立つ。
食器の音などは一切立てること無くほぼ一瞬で二人分のティーセットが並べられた時には、
紅茶のいい香りがかえでの鼻孔をくすぐった。

ウエイターが再び一礼をしてその場所を離れると、かえではカップに注がれた紅茶にふうと軽く息を吹きかける。
水面がゆらゆらと淵に向かって小さな波紋を広げると、暖かい湯気と共により一層甘い香りが
かえでの中に入ってきた。
それを一口、二口。
口に含んでゆっくりと喉を潤せば、すっかり雨に濡れてしまった身体が内側からゆっくりと温まってくる。

またその味も、さすがにこの値段だけのことはあるということだろうか。
濃厚な紅茶本来の味がかえでの口の中一杯に広がるものの、苦みを感じることはない。
さらにその味は、また飲み下してしまったあとに心地よい余韻としてその舌に暫くの間残っていた。

さすが、紅茶の味にうるさいすみれのお眼鏡に適った店であるといえよう。

「マリアは、ロシアンティーだったわね」

カップを再びテーブルに戻すと、かえでは数種類のジャムの入った皿が添えられた相手のティーカップの方を
見つめる。

「ええ、久しぶりに……暫くコーヒーばかり飲んでいましたから」

そう呟くと、マリアはティースプーンに少しだけジャムを取り、やがてそれを口の中に入れた。
唐突な彼女の行動にかえでが目を丸くすると、相手はそんな彼女の様子を気にすることなく
ゆっくりとカップの紅茶を口に含んでゆっくりと流し込んだ。

「混ぜるんじゃないのね……」
「えっ……ああ、ロシアではこうやって飲むんですよ。こちらでは混ぜる方が主流になってしまったようですが、
私はこちらの方が口に合うので」

呆然と呟いたかえでの言葉に目を丸くしたマリアであったが、すぐに笑みをたたえたいつも通りの表情に戻し
その言葉に答える。
彼女がこくこくと頷き納得したのを見計らうと、今度は違う更に入ったジャムを口に含んで再び紅茶をこくりと
飲みこんだ。

その姿を、暫くの間かえではじっと見つめていた。
それは彼女の飲み方が珍しいというのではなく、単にティーカップを傾けるその姿に見とれていたから
という方が正しいだろう。

普段サロンで紅茶を飲んでいる姿を見るすみれと同じように、マリアもまたその整った容姿から、
ティーカップを傾けるという何気ない姿すらもまるで絵画のようである。
しかもその背景は、劇場ではなく高級で上品な店。

普段その姿を見慣れているかえでですら、思わず溜息を吐くほどの美しさであった。

そして自らに見とれていることを知ってか知らずか、マリアはティースプーンにまた少しだけジャムを乗せる。
そしてそのまま口に運ぶのかと思いきや、彼女はそのスプーンの先を今度はかえでの口元に
差し出したのである。

「どれも美味しいですが、私はこれが一番合うと思ったので」

目を点にしたかえでに、マリアはまた優しく笑みを浮かべる。

「え、でも……」

そんな相手の表情を絵本の中から現れた王子様と錯覚したかえでは、一瞬自らの顔が熱に侵されたのを感じ
戸惑いの表情を見せる。

しかしマリアはその手を動かすことなくじっと彼女を見つめるのみ。

そのグリーンの瞳に逆らうことなどできる筈も無く、かえでは相手の誘い通りにティースプーンを口に咥えた。

甘酸っぱいジャムの味が、一瞬でかえでの口内に広がる。

すぐに見よう見真似で自らのカップに口を付けると、ジャムの甘さに侵された口内に新たな味が染み渡った。
紅茶の香りに、ジャムの甘酸っぱさが加わっただけ。ただそれだけである筈なのに、以前ジャムを混ぜて
飲んだ紅茶よりもかえでにはずっと美味しく感じられた。

「……美味しい」

その味を存分に味わって飲み込むと、自然にかえでの口からその言葉が漏れる。
マリアはそれを見てどこか嬉しそうに微笑みながら、また自らの口にジャムを含んだ。

そして彼女が自らのティーカップに再び口付けた時、まだ紅茶の余韻を楽しんでいたかえでの視界に
こちらへと近づいてくる人影が映る。
年はさくらよりも少し下といったところだろうか。
他の客と同様高級だと一目で分かる衣装に身を包んだ少女は、緊張した面持ちでゆっくりとマリアに
近づいてきた。

彼女の用件を何となく察知したかえではすぐに窓の方へと視線を向け、自らの表情が恋人のそれに
なっていないかどうかを確認する。

「あ、あの……お邪魔してしまって、すみません」

そしてかえでが窓から視線を外した時、少女はやっとやっと絞り出したかのような小さな声で、
マリアにおずおずと話しかけた。
それと同時にマリアの視線がかえでから少女へと移り、その表情が普段のそれから役者へと変わる。

見慣れているとはいうものの、かえでは彼女の変わり身の早さに感心した。

「て、帝国歌劇団の……マリア・タチバナ様……ですよ、ね?」

その問いかけに、マリアは再びかえでの方を見る。
このまま彼女が名乗ることで、その場にパニックを起こすようなことがないか……その確認だとかえでは
すぐに理解した。
閑散とした店内には、先程から人は増えていない。
また、少女もその様子を見る限りでは騒ぎ立てるつもりは無いようである。

それを確認すると、かえではマリアを見つめ、ゆっくりと頷いた。

「はい、私がマリア・タチバナ……ですが」

視線を少しだけ柔らかいものに変え、マリアは少女の問いにそう答えた。
その瞬間、少女の顔が一瞬でリンゴのように真っ赤に染まり、小鳥の囀りのような声は蚊の無くようなそれへと
変化する。

「あ、あの……私、あなたのファンで、その……明日、誕生日って、知って、だから……!!」
「落ち着いて下さい、私は逃げませんから」

今にも泣きだしそうになる彼女の肩に手を置いて、マリアはゆっくりとした口調で彼女を諭した。

「す、すみませ……!」

胸に手を当てながら少女は大きな深呼吸を何度か繰り返し、抑えきれない興奮を何とか治めようとする。
そんな初々しい少女の様子に、かえでの口元に思わず笑みが浮かんだ。

憧れのスタアか、いやそれとも王子様か……そんな人物が、今目の前にいるという興奮。
それを大げさなまでに体現する少女。その姿は、なんと可愛らしいものなのだろうか。
もう自分にそんな衝動が訪れることは無いのだろうと、かえでは少女の様子を微笑ましく思いながら
二人のやりとりを見守っていた。

「あの、こ、これ……受け取って頂けませんか?」

ガタガタと震える手で、綺麗な包装に包まれた贈り物をマリアに差し出す。

「あら……ありがとうございます」

マリアは綺麗に微笑んで、両手で差し出されたそれを両手で優しく受け取った。
それと同時に、渡すことができたということに安堵したのか、これまでずっと固まったままであった少女の顔に
初めて笑みが浮かぶ。
微笑み合う二人を見つめ、かえでもまた同じように微笑んだ。

……このような光景は日常茶飯事である。

普段一緒に生活しているマリアは、世間から見ればトップスタア。皆の憧れの存在であることに間違いは無い。彼女が目の前に現れれば、少しでも自分の方へと気を引きたくなるのは普通というもの。

そんな人間の性を、かえでは深く理解していた。
なぜなら、彼女もまたスタアでは無いからである。

家柄や血縁の件はあれど、かえでが帝国華撃団に配属されたのは偶然。
もしもその偶然が無ければ、霊力が高い訳でもない彼女はただのいち軍人に過ぎない。
そうなってしまえば自らはこの少女と同じように、遥か遠くに居るスタアを追いかけることしかできないということ。

所詮、かえではその程度の存在なのだ。

しかし運よく自らは副支配人としてそこに居ることを許され、そしてどこからこんな大きな幸運が
舞い込んだのか、トップスタアを誰よりも間近に見ることができる位置に立っている。

よく考えれば、それはなんと滑稽なことであろうか。

二人の会話を上の空で聞き流しながら、かえでは自らの荷物をその手に取った。

「マリア、私……先に帰るわね。お代はここに置いておくから」

自らがもしも少女と同じ立場ならば、外野など邪魔な存在である。
それならば、邪魔者は早々に立ち去った方がいい。

かえでの声にすぐに反応した2人の視線を受けながら。彼女はゆっくりと立ち上がった。

「何か用事ですか? それなら、私も……」
「ううん、私はいいからゆっくりしていって」

つられて立ち上がろうとしたマリアを制し、かえでは彼女と、きょとんとしている少女の両方に視線を向ける。
そして、二人に向かってにっこりと優しい笑みを浮かべた。

「それじゃあ……」

マリアの視線に戸惑いの色を感じながらも、かえでは二人に手を振り踵を返す。
そして一度たりとも振り返ることなくテーブルを離れ、気付いた時には彼女は店の外に立っていた。

屋根に守られたその入り口を出れば、土砂降りの雨に打たれることは間違いない。

しかし彼女はそれに臆することなく、その雨に向かって飛び出していった。
 
 
 
「そういえば……マリアは一緒じゃねえのか?」

戻ってきたカンナは真っ白なタオルをかえでの頭に被せると、わしゃわしゃと彼女の髪を拭きながら
そう問いかける。
元々マリアをかえでが連れ出している事を彼女は知っているのだから、二人で出て行く姿を見られて
いなくても、その質問が出てくることは自然なことであった。

「マリアは用事ができたから、先に私だけ帰って来たのよ」

事の詳細を述べる必要は無いだろうと判断したかえではそう答えて、タオルをカンナの手から半ば強制的に
奪い取る。
そしてくしゃくしゃになってしまった自らの髪を指で梳くと、化粧が落ちてしまうとぼやきながら、
濡れたままの顔にタオルを押しあてた。

「……そっか。しかしこの雨だからなぁ……。よし、アタイがちょっくら傘持ってマリア迎えに行ってくるよ」
「そんな、着替えたら私が行くわよ」

傘立ての中の傘を無造作に引き抜いて今にも玄関を出ようとしたカンナを、慌ててかえではそう言葉で制した。
だが、カンナはにっこりと笑って彼女を見、そしてこう彼女に言葉を返す。

「いいんだよ。かえでさんはさっさと風呂に入らねぇと……」

だがその言葉は最後まで紡がれるよりも早く、彼女が押しても居ないのに目の前の扉がゆっくりと開いた為に
カンナは自らの言葉を止める。
それと同時にかえでもまたその先に視線を向けると、彼女と同じようにすっかり濡れ鼠となったマリアがそこに
立っていた。

「……ただいま」

目元まで覆ったプラチナブロンドの髪をかき上げ、マリアは小さく呟く。
滴り落ちる水滴はその美貌に更なる魅力を付加し、彼女は見事に『水も滴るなんとやら』を体現していた。

「マリア!」
「マリア! ……思ったより早かったのね」

殆ど同時に二人は彼女の名を呼び、更にマリアの帰りが遅れた理由を知るかえでが驚きの言葉を漏らす。
騒がれる様子は無かったこともあり、雨が少しでも治まるまでは居るだろうと彼女は踏んでいたのだが、
彼女はそこまで長居をする気は無かったようである。

「ええ、まあ……」

カンナからタオルを受け取ったマリアは、かえでの問いかけにそう言葉を濁す。
するとどうやらそれが最後の一枚であったらしく、カンナは再びそれを供給する為劇場の奥へと消えた。

「もう少し、長く居ればよかったのに」

首に掛けたタオルで未だ湿っている頬を撫でながら、かえではマリアに再び問いかける。
しかしそれと同時に、もしかしたら自らが席を立ったが為にあの少女に要らぬ気を遣わせてしまったのでは
ないかという不安が過った。

それならばやはり邪魔者であろうと完全に空気に徹していた方がよかったのだろうかと、かえでの中に
後悔の念が過る。
だが、そんな心配は全くの杞憂であった。

「かえでさんが、この雨の中を一人で帰って行くのが見えたので……すみませんでした」
「えっ……どうして謝るの?」

思ってもみなかった理由、そして謝罪の言葉にかえでは再び目を丸くする。
すると彼女の反応をマリアもまた不思議に思ったのか、彼女は訝しげな表情でこうかえでの問いに答えた。

「どうしてって……私が、その、ファンの方と話し込んでしまったから」

その言葉に、かえでは思わず苦笑する。
どうやら、マリアは自らがあの少女に気を取られていたことに彼女が憤っていると勘違いをしていたらしい。
そんな筈無いじゃない、とかえでは心の中で呟いた。

「あら、私のことなんていいのに……。せっかくあなたのファンの方が勇気を振り絞って話しかけて下さったん
だから、その想いに応えなきゃいけないでしょう?」

タオルを柔らかく口元に当てて話すかえでの脳裏に、初々しい少女の姿が浮かぶ。
彼女はどれだけ緊張して、マリアの前に姿を現したのだろうか。そして勇気を振り絞って話しかけ、贈り物を受け取って貰えた時にはどんな気持ちになっただろうか……。
それを想像すると、当人とは全く関係のないかえででさえ気恥ずかしくなってくる。

「かわいかったわよね、あの子……あんなに顔真っ赤にして」

照れ隠しにそう呟いたかえでは再びタオルに顔を埋め、そしてゆっくりとした動作で顔を上げてマリアの顔を
見上げた。

その視線の先に、かえでの想像通りの表情のマリアの姿は……無い。

そこには彼女の想像とは真逆の、辛いとしか言い表すことのできない表情のマリアが居り、彼女はじっと
かえでを見下ろしていた。

「……どうして、待っていて下さらなかったんですか?」
「どうして、って……」

普段よりもずっと低い声でのマリアの問いかけに、思わずかえでは口ごもる。
元々勝気な彼女は相手よりも屈強、且つ権力や力もある軍人の怒声にもあまり動じることはない。
だがそんなかえでも、明らかに自らに対して苛立ちを露わしているマリアの雰囲気にはただただ圧倒され、
呆然とすることしかできないでいた。

なぜなら、彼女は今初めてマリアの怒りの矛先になったのである。
今まで見たことのない相手の雰囲気、そして何より自分の今までのどの発言が彼女の怒りを誘ったのか
分からない。
そんな状況の中でどう立ち回ればいいのかなど、彼女に分かる筈も無かった。

「ファンの方を気遣うなら、別の席に移動するだけでよかったのに」

かえでの答えを待つことなく、マリアは声のトーンを変えずにまた口を開く。
確かに彼女の言うことは最もで、わざわざこの土砂降りの中を無理に帰るなどということは無かったのである。
それは、かえで自身も理解していた。だが、彼女がする必要のない選択肢を選んだのは事実である。

事実、なのだが――

「でも、居なくなったのを見計らってまた戻るなんて悪いわよ」

自らの口から吐いて出たその言葉は、彼女の本心ではない。
尤もらしいその理由は、苦し紛れに彼女が導き出した言い訳にすぎないのだ。
かえでは自分が何故、雨の中をまるで逃げるように帰ったのか……分かっていないのだから。

「そうかもしれませんが、この雨の中で……」
「大丈夫よ。これくらい」

かえでの心境などとうに見越しているのか、マリアは更に喰い下がる。
しかしかえでは異常なほどに迫力のあるその言葉を覆い隠すような大声で、彼女の言葉を遮った。
思わず口を噤んだマリアであったが、その言葉の続きを待っているのかのようにじっと彼女を
半ば睨みつけるようにして見つめている。

「あなたは私だけのものじゃないんだから、一人占めしちゃったら……悪いわよ」

相手の視線にじっと耐えていたかえでであったが、ついにその重圧に耐えきれなかったのか、
言葉を終えるのと同時にマリアの双眸から視線を外した。

もう、彼女には自らの言葉が本心であるのかを判断する気力は残っていない。

雨の滴ではない水滴が、かえでの額から頬へと流れ落ちた。

「……嫌、でしたか? 見えるところで、私と二人きりで食事をすること」

再び開かれたマリアの声音は、先程までの覇気をすっかり失っていた。

「どうして? そんなこと無いわよ」

どこか自嘲気味に囁かれた問いかけの意味を理解すると、かえでは反射的に否定する。
自らの本心がどこにあるのかまだ見出せないかえでであったが、彼女の言葉だけは違うと言いきれる
自信があった。
そもそもそうでなければ、彼女はここまで必死になることは無い。

だが、一度疑念を持ったマリアの心に、彼女の言葉は届かなかった。

「そうでしょうか? あなたの話を聞いていると、まるで外で2人きりでいることを避けているように思えますが」

言葉の最後には自嘲的な笑みを浮かべ、マリアは再びかえでに問いかける。
勿論そんなことなど思ってもいないかえでは、心を閉ざしてしまった相手に縋るような思いでこう言葉をぶつけた。

「そんな筈無いでしょう? あなたは、私の……」
「恋人だというのなら、少しくらいある筈ですよ。理性では抑えきれない……」

かえでの言葉を遮って吐き捨てられた相手のそれを、パタパタと廊下を走る複数の足音が遮る。
彼女はそこで初めて、自らの頬に流れ落ちるものが雨水ではないことを悟った。

「持ってきたぞ~!」

カンナの声が廊下に響き渡ると同時に、かえではまた白いタオルの中に顔を埋めた。
ぐりぐりと強く顔を擦り、気付かれないように口を笑みの形に曲げる。

役者ではない彼女は、こんな時にも一瞬で笑顔を作るスキルなど持ち合わせてはいないのだ。

「お2人とも、早くお風呂に入って下さい! 風邪、ひいちゃいますよ」

今までの二人のやりとりを知らないカンナとさくらが、二人の元へと駆け寄って来る。

「ありがとう。部屋に荷物を置いたら、すぐに入らせて貰うわ」

その姿が視界に入るのと同時に、マリアの表情は先程までの激情など無かったかのような
柔らかいものへと変わる。
そして二人に礼を言うと、彼女は手渡されたタオルに顔を埋めた。

「……かえでさん、行きましょうか」

かえでの方をちらりと見たマリアの表情は、白いタオルと濡れたプラチナブロンドに阻まれ伺うことができない。
だが反らされるまでの一瞬だけその視界に映ったマリアの瞳に、うっすらと涙が浮かんでいたように
思えたのは、かえで自身の目の錯覚では無い筈である。

「ええ、そうね……」

マリアの言葉にかえではあくまで平静を装い、ゆっくりとした口調で答えた。
 
 
+++++++++++++++
 

雨の勢いがほんの少しだけ衰えたその日の夜。
普段より早く身支度を済ませたマリアは、暗い部屋で一人窓の外を眺めていた。

その空間を灯すのは、月明かりとテーブルランプのみ。

ウオッカの入ったグラスを傾けた彼女は、ふと胸元から何かを取りだした。
それは、銀色の指輪がチェーンに繋がれただけのシンプルなネックレス。

暫くそれをじっと見つめた彼女は、やがてぐいとそれを引っ張りチェーンを引きちぎってしまった。
部屋の床に、カラカラとその残骸が散乱する。

マリアはそれを全く気に留める様子も無く手の中に残るチェーンの残骸と指輪を暫く見つめ、
やがてテーブルの上のある一点に視線を移した。

そこにあるのは、彼女の手の中にあるものよりも一回りほど小さなサイズの指輪。
勿論、彼女の指には細すぎる。

またチェーンの残骸が散らばるのにも構わず、マリアは指輪を持っている方の手でそれを摘まんだ。
そしてころり掌まで転がすと、ふたつの指輪をぐっと握る。
 
やがて時計の針が午前零時を告げるのと同時に、彼女は勢いよくその指輪を壁に向かって叩きつけた。
哀れなそれはカツンと音を立て、やがてお互いに全く別の場所へと弾かれる。

サイズの大きな指輪は真っ直ぐに床に落ちたまま、全く動くことは無い。

だがもう一方は床の上でもう一度跳ねると、ころころと転がりやがて相方の佇む方へとやってくる。
そしてその隣で一度ぐりんと横方向にうねると、まるで大きな指輪に寄り添うようにころんと寝転がり
その動きを止めた。
 
指輪達の一連の流れをじっと見つめていたマリアは、やがてふぅと溜息を吐くと、雨の降り続く窓の外に
視線を移す。

そうしてやっと、今この瞬間が自らの誕生日であることに気付いた。


+++++++++++++++
「4.左手の、」(前篇)
『気付いて、気付かないで、』 (配布元:『勿忘草』様 )

……見ての通り続きものでござい。
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