※注意※
※以下マリかえにつき
※勿論百合でございます
※以下マリかえにつき
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「いたた……」
静まり返った室内に、ふとそんな間の抜けた声が響く。
それと同時に部屋中にピリピリと張り詰めていた空気が一瞬で瓦解し、雲間から再び顔を出した月の光と同じ
穏やかな雰囲気に包まれた。
「だ、大丈夫ですか!? すみません、上手く加減が……」
声を発するのと同時に腫れあがった頬を抑えたかえでに駆け寄ると、マリアは彼女のものよりも少しだけ大きな、
それでいて細く長い指をもつ自らの手でそれを包み込む。
「手加減しちゃ駄目でしょう? これくらいやらないと、逆にあなたが叱られちゃうわ」
するとかえではそう小さく呟いて、マリアに包まれた頬を緩ませ苦笑いを浮かべた。
花組が高名な活動写真の監督から自らの是非演じて欲しいという話を貰ったのは、今から数カ月程前のこと。
これまでも何度か活動写真に出演したことのある彼らはその申し出を快く受け入れ、定期公演の無いこの時期に
訓練の合間を縫って撮影を進めてきた。
思春期の少年と少女を中心に据えた物語のため、主演はレニとアイリス。
その他の配役についても普段の舞台とあまり印象の変わらないものだったのだが、たったひとりマリアだけは
アイリスが演じるヒロインの母親という、舞台では主演でも脇役でも男役が多い彼女にとっては
珍しいものであった。
しかしいくら男役のトップスタアであるとはいえ、彼女もひとりの女優。
割り当てられた配役を見事にこなし、その演技は周りのスタッフだけでなく監督をも唸らせる程。
そして当のマリアもまた新鮮な気持ちで役に入り込むことができていた。
だがそんな彼女には不安がひとつ。
それは危険を顧みない娘を想うあまりに叱って口論になり、思わず頬を打ってしまうという場面。
相手の頬を打つという演技は舞台でもよくあるもの。だが実際にけたたましい音を立てて頬を打つのは難しく、
そして何より危険が伴う。
その為客席に見えない位置で打つ方が自らの手を叩き、打たれる方はそれに合わせて身体を動かすことで
頬を打つように見せかけているのが実態であった。
しかし今回は舞台ではなく活動写真。
まるで現実の一幕のような演技を求められている為、勿論この場面でも実際に頬を打つことが求められた。
女優としての芸歴は長いものの、演技の中で実際に相手の頬を打つことはマリアにとって初めてのこと。
その上相手は、彼女が厳しいながらもメンバーの中で最も愛情を注いできたアイリスである。
そしてまだ幼さの残る彼女はひとりの女優として、手加減の無い本気の平手を望んでいた。
マリア自身もその気持ちを汲む意味でも手加減をしたくはない。だがどうしても彼女の中にあるアイリスへの
愛情が全面に現れてしまうという恐れはある。
その迷いが力加減だけに現れればまだしも、もし目測が狂えば怪我をすることも免れない。
顔への傷は女優にとって命取りである。
台本に目を通した時からひとりそんな不安を抱えていたマリアは、その場面の撮影が行われる数日前になって
漸く自らの気持ちをかえでに吐露したのだった。
「ね、やっぱりやってみてよかったでしょう?」
打たれた頬に冷やしたタオルを当て、かえではそうマリアに問いかける。
しかし相手は微笑んでいる彼女とは逆に、未だ暗い表情のまま。
「それでも、わたしはかえでさんに手を上げたくはありませんでした」
「もう、それは言わない約束でしょう?」
ベッドに座ったまま溜息を吐くマリアの額を、かえではそう言って軽く弾く。
しかし彼女の指は相手のブロンドの髪をほんの少し揺らしただけ。
マリアから相談を受けたかえでが提案したのは、自らが叩かれ役になることであった。顔に傷を負ってしまう
危険性を考慮すれば、裏方である彼女は確かに適任である。
しかしいくら練習とはいえ、仲間以上の感情を持つ相手を傷つけることに変わりは無い。そのためマリアは当初
かえでの提案を拒んでいた。
だが本番を目前に控えこれ以上の条件は無いというかえでに押し切られ、そして漸くお互いに納得のできる
演技ができたのがつい先程のこと。それはどうしても彼女の頬を叩くことができなかったマリアが、漸く役に入り
込むことのできた瞬間であった。
「ねえ、まだ不安なの?」
かえでは柔らかな声でそう問いかけると、俯いたままのマリアの髪を軽く撫でる。しかしそれでも、マリアは顔を
上げることは無い。するとかえでは相手の髪伝いに自らの手を滑らせていき、やがて彼女の頬に触れると
もう片方の手を添えて両側の頬をすっぽりと包み込む。
そして壊れものを扱うような柔らかな力を込めて、ゆっくりとマリアの視線を上の方へと誘い込んだ。
ゆらゆらと揺れる一対の翠色の瞳が、しかし真っ直ぐにかえでを見つめる。
「ねえ、マリア……とっておきのおまじない、してあげましょうか」
その視線をしっかりと受け止めたかえではそう囁いて、彼女の表情を焼き付けたままゆっくりと
自らの瞳を閉じた。
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